近年、ペットの健康維持や腸内環境の改善に注目が集まる中、プロバイオティクスに代わる新たな選択肢として「ポストバイオティクス」が注目されています。本記事では、その特徴や効果、ペットフードへの応用可能性について解説します。
人類と発酵食品の長い歴史
人類は何千年にもわたり、発酵食品(および飲料)を消費してきました。キリストが水をワイン(発酵飲料)に変えたという逸話もあります。
他にもドイツのザワークラウト、韓国のキムチ、ロシアのケフィア(発酵乳)、日本の味噌、ノルウェーのラクフィスク、インドのピタなど世界中で多種多様な発酵食品が親しまれてきました。
ほぼ全ての人類の食文化には、チーズ、ヨーグルト、カッテージチーズといった乳製品を発酵させた食品が存在し、それらは今も世界中で栄養価の高い食品として食されています。
発酵食品は保存性、栄養価、さらに嗜好性に優れており、広く受け入れられてきました。さらに、発酵食品は人間の消化器系の健康をサポートするだけでなく、2型糖尿病や心血管疾患の予防にも役立つとされています。
あるリサーチ会社による発酵食品の調査では、食品1gあたり105-109CFU(コロニー形成単位)という高いレベルの生菌が含まれていることが報告されています。
消費者の間でも、発酵食品の健康効果に対する意識が高まっており、2018年のレストランメニューのトレンド調査では、発酵食品の提供数が149%増加していると報告されています。
ペットフードへの利用展開
こうした背景の中、ペットフード業界でも、発酵食材を用いた新しいタイプの製品が登場しています。アメリカのあるブランドでは、麹菌で得られたタンパク質を主原料としたペットフードが開発されました。
このタンパク質は「クリーンプロテイン」と呼ばれ、動物由来でないことから、持続可能性の面でも優れています。実際に、肉ベースの食品と比べて90%少ない資源で生産が可能とされています。
このような製品はサステナビリティを訴求していますが、発酵食品が持つもう一つの大きな魅力は「プロバイオティクス(善玉菌)」による健康効果です。
プロバイオティクスとは、生きた微生物のことで、通常はサプリメントや食品に添加されて摂取されます。腸内の病原菌を抑えたり、免疫機能を改善したり、発がん性物質の生成を抑制したり、腫瘍の成長を抑制したり、便通を整えたりする効果があるとされています。
プロバイオティクスは熱に弱い
これほどまでに発酵食品やプロバイオティクスの効果が注目されているにもかかわらず、なぜ一般的なペットフードブランドでは、これらの成分が積極的に活用されていないのでしょうか?
その理由はシンプルです。主流の製品形態である「エクストルーダー(押出成型)」や「レトルト加工(缶詰など)」が、プロバイオティクスの生存に適していないためです。これらの加工方法や包装環境は、生きた菌(プロバイオティクス)が生き残ることが難しいのです。
ただし、耐熱性を持つ菌の一部は、製造時に生き延びることができます。それでもなお、一般的に使用される加工方法が、生きた菌を加える上で大きな制約となっているのが現状です。
死菌でも効果を持つポストバイオティクス
プロバイオティクスの主な働きは、腸内環境を整えることにあります。つまり、生きた微生物が腸内で活動、そして発酵する事により得られるさまざまな健康効果をもたらしているのです。
しかし実は、こうした「腸内での発酵」が行われなくても、発酵のメリットを犬や猫にもたらす方法があります。それを理解するには、まずプロバイオティクスがどのように腸内環境に良い影響を与えているのかを理解する必要があります。
微生物が持つ元来の防御機能
私たちは普段、サルモネラ菌のような病原菌が自分やペットの健康に与える悪影響に注目しがちですが、実は有益な菌も存在します。そして、これらの細菌たちは自分たちの生存競争に勝ち抜くために、抗菌物質を分泌するなどの自然な防御機能を持っています。
例えば、乳酸菌の一種であるラクトコッカス・ラクティス(Lactococcus lactis)は、過酸化水素を分泌することで知られており、これは食中毒の原因となる病原菌に対して効果があることが分かっています。
また、複数の抗菌性物質は厳しい環境下で生き抜くために細菌によって産生されています。たとえば、ランティバイオティクス(lantibiotics)と呼ばれる菌があります。
ある研究によると、ランティバイオティクスには約20種類の独自化合物が確認されており、それらは複数の作用機序を持つため、自然由来の抗菌物質として期待されているのです。
加えて、ランティバイオティクス以外にもさまざまな抗菌性の化合物が存在しており、それらが含まれる発酵由来成分(fermentate)には、腸内フローラ(腸内細菌叢)の構成を変える力があると考えられています。
死菌でも効果を持つポストバイオティクス
このように、発酵食品は必ずしも生きたプロバイオティクス菌を含んでいなくても、腸内にポジティブな変化を与えることが可能です。こうした考え方から生まれたのが、ポストバイオティクス(postbiotics)という概念です。
ポストバイオティクスとは、腸内細菌が食事由来の成分から産生する有益な代謝物のことを言いますが、熱にも強くペットフードの加工工程で生きた菌が死滅してしまうような製造工程においても、発酵食品の恩恵を活かすことができます。
ポストバイオティクスの定義と可能性
ポストバイオティクス(Postbiotics)という言葉は比較的新しく、その定義は現在も明確に決まっておりません。しかし、現時点での定義としては、「プロバイオティクスの代謝活動によってペットや人間に対して直接的または間接的に有益な効果をもたらす代謝物とされています。
もっとシンプルに言えば、ポストバイオティクスとは、プロバイオティクス(善玉菌)が増殖・活動する過程で生み出される有益な成分物質のことです。場合によっては、プロバイオティクスそのものも含まれることもあります。
これまで述べてきたように、これらの物質の多くには抗菌・免疫性の働きがあり、生きた菌でなくても健康効果を発揮します。実際、一部のポストバイオティクスは、あえて生きた菌を破壊してその中の細胞成分を取り出すことで、より高い効果を持たせるよう設計されています。
ポストバイオティクスの具体例
ポストバイオティクスの健康効果は、その中に含まれる代謝物や微生物の細胞成分にあります。そのため、多くのポストバイオティクスは「生きた菌」そのものではなく、あくまで“菌が生み出した成分”を指します。
実はポストバイオティクスは、すでにペットフード業界でも一部活用されています(ただし、その効果や役割はまだ十分には認識されていません)。現在使われているポストバイオティクスには、以下のようなものがあります。
- ビール酵母など、醸造業界の副産物
- 酵母細胞壁の抽出物(例:マンナンオリゴ糖、β-グルカン)
- 有機酸類
- 発酵液(fermentates)
- 熱処理されたプロバイオティクス(チンダリゼーション処理)
こうしたポストバイオティクスはすでに一部のペットフード製品に使われており、その健康効果も期待されていますが、今後さらに応用の幅を広げる可能性があります。既存の技術を活かしつつ、より多様なポストバイオティクスの活用が、ペットの健康維持において大きな価値をもたらすかもしれません。
ペットフードにおける重要性
現在、多く市販されている主なペットフードは以下の2タイプで製造されています。
• ドライタイプ(エクストルーダー製法=押出成形)
• レトルトタイプ(缶詰、パウチなど)
これらの製品は常温保存が可能で、賞味期限も約18か月と長期ですが、製造や保存環境の影響でプロバイオティクス(生菌)は死滅しやすく、効果を維持するのが難しいという課題があります。
一方、ポストバイオティクスはこの課題を解決できる有望な成分です。なぜなら、生きた菌ではなく菌が生産する代謝物(有効成分)であるため、以下のような特長があります。
- 高温・加熱加工に強い
- 長期保存でも物性値が安定
- 製品の嗜好性を損なわない
このような特性により、ポストバイオティクスは健康維持に貢献する成分として、今後のペットフード開発において注目されています。
最小加工フードとの相性と保存性向上
近年では、栄養素や嗜好性を最大限に活かす最小加工タイプのペットフードも人気を集めています。これらは水分を多く含み、冷蔵保存が必要ですが、その分鮮度や栄養の保持に優れ、健康志向の飼い主に支持されています。
ただし、これらの最小加工フードは、賞味期限が比較的短く(約6か月程度)、保存性に課題があります。ここでもポストバイオティクスの抗菌作用や酸性物質の働きが保存性向上に寄与する可能性があります。例えば、2019年の研究では、乳酸菌(LAB)が以下のような安定化作用のある成分を生成することが確認されています。
フェニル乳酸、プロピオン酸、ジアセチル、短鎖脂肪酸、環状ペプチド
これらの成分は、以下の4つのメカニズムにより腐敗菌や病原菌の働きを抑制します。
- 細胞壁の不安定化
- pHバランスへの干渉
- 酸化ストレスの誘導
- フリーラジカルの阻害
さらに、乳酸菌が生成するバクテリオシン(抗菌ペプチド)も保存性向上に寄与します。たとえば、以下の物質は、Lactococcus、Enterococcus、Pediococcus、Lactobacillusなどの菌株によって産生され、食品(特に肉製品)の安全性を高める働きを持ちます。
ナイシン、エンテロシン、ペディオシン、ペントシン、サカシン
健康効果を示す研究事例
ポストバイオティクスは保存性向上だけでなく、健康面でも有益な影響を与えることが、複数の研究により明らかになっています。
抗肥満作用
ポストバイオティクスには抗肥満作用があることが分かっています。たとえば、犬の唾液から分離されたラクトバチルス・ロイテリ(Lactobacillus reuteri)を加熱処理し、死菌化したものをマウスに投与したところ、通常よりも加齢に伴う体重増加が抑えられたという報告があります。
代謝改善・エネルギー利用促進
短鎖脂肪酸(SCFA)など複数のポストバイオティクス成分を分析した所、それらが熱産生(エネルギー消費)を促進し、インスリン感受性を高める働きがあるという調査結果があります。
これは、発酵性繊維を摂取した犬においても同様の傾向があり、GLP-1(グルカゴン様ペプチド-1:インスリン分泌を促すホルモン)の増加を通じて、インスリン感受性が改善されたこととも一致しています。
アレルギー反応の抑制・免疫調整作用
また、特定のプロバイオティクスに由来するポストバイオティクスにも注目が集まっています。ビフィドバクテリウム・ロンガム由来のエキソポリサッカライド(EPS)は、気道や肺におけるアレルギー反応を抑制する効果が示されています。
さらに、ラクトバチルス属の複数の株から得られたEPSについて、免疫調整作用、抗酸化作用など多面的な健康効果を持つことが報告されています。
ポストバイオティクスの今後の応用展望
ポストバイオティクスは、従来のプロバイオティクスでは実現が難しかった加工性や保存性の課題を克服できる成分として、今後ますます注目が高まることが予想されます。
特に、最小加工タイプのペットフード、エクストルーダーによるドライフード製品、さらにはレトルト以外のさまざまなおやつや機能性食品など、多様な製品への応用が可能とされています。
さらに、腐敗や細菌汚染のリスクが高い肉製品においても、ポストバイオティクスの活用は大きな期待を集めています。たとえば、Salmonellaなどの病原菌に対する抑制効果は、安全性向上と保存性の改善の両面から有効であり、ペットフードの品質保持に貢献する手段として非常に有望です。
このように、ポストバイオティクスは「生きていなくても健康に良い影響を与える」というユニークな特性を持ち、従来のプロバイオティクスの常識を覆す存在です。
その優れた加工耐性と科学的に裏付けられた多様な健康効果により、今後のペットフード開発において、製品の差別化や付加価値向上のための重要な要素となっていくことでしょう。